地学展示ホール
3億年におよぶ埼玉の生いたちは、秩父山地や関東平野をつくるさまざまな地層・岩石・化石などから知ることができます。ここでは、埼玉県でみられる岩石・鉱物・化石・地層などを年代順に展示し、埼玉の「大地の成り立ち」と「その生いたち」を紹介します。
地学展示ホールの入り口では、約3億年前から現在まで、埼玉の大地の成り立ちをまとめて紹介しています。
約4億8千万年前の埼玉県最古の岩石や、約3億年前の埼玉県最古の化石をはじめ、時代ごとに主要な標本が展示されており、過去から現在までの埼玉の生いたちがひと目で分かります。
ここで埼玉の生いたちの全体像をつかんでいただき、地学展示ホールの中に入り、各時代の詳細をご覧ください。
ジオパーク秩父
「ジオパーク」とは、「地球・大地(ジオ:Geo)」と「公園(パーク:Park)」とを組み合わせた言葉で、「大地の公園」を意味し、地球(ジオ)を学び、丸ごと楽しむことができる場所をいいます。
秩父地域の1市4町は2011年に「日本ジオパーク」に認定されました。当館は、ジオパークに関わる調査研究や、その成果を活かしたガイダンスの機能を果たし、その拠点施設として活動しています。
秩父帯の地層(約3億年前~1億4500万年前)
暖かく浅い海には、植物のような形をしたウミユリや小さなフズリナ、三葉虫などがすんでいました。海底火山が活動し、盛んに熱水を噴出していました。
秩父山地にはチャートや石灰岩などの硬い岩からなる地層が見られます。これらの地層は、石炭紀から三畳紀の大洋底に堆積し、放散虫などの死がいはチャート、火山島をつくった溶岩や火山灰は緑色岩、火山島の周囲に発達したサンゴなどの骨格は石灰岩になりました。
これらの地層は、ジュラ紀になって、陸地から運ばれた砂や泥といっしょになって複雑な地層群をつくりました。
この地質帯は、秩父地方で最初に調べられたので、県外に分布するものも含めて「秩父帯」とよばれます。
約2億5000万年前の海の様子(ジオラマ)
石灰岩
秩父鉱山
秩父市中津川の秩父鉱山では、鉄・鉛・亜鉛などの鉱石を産出し、1973年まで鉱石を運び出していました。秩父鉱山は、鉱物の種類の多いことや、形の美しい鉱物がえられることで有名で、中でも糸金(いときん)といわれる糸状の自然金や車骨鉱(しゃこつこう)、大きな黄鉄鉱やベスブ石の結晶がよく知られています。
糸金
恐竜時代の地層(約1億4500万年前~6600万年前)
気候は今よりも暖かく、海の中には、アンモナイトやべレムナイトが泳ぎ、海底には三角貝やイノセラムスなど二枚貝がすんでいました。
陸上には、シダやソテツなどの裸子植物だけでなく、現代も最も繁栄している被子植物が茂るようになりました。陸地では恐竜が歩き、空には翼竜が飛んでいたことでしょう。
小鹿野町から東をのぞむと、直線状にのびた谷がみられます。この谷は山中(さんちゅう)地溝帯とよばれ、ほぼ国道299号線にそって、秩父盆地の西のはしから長野県まで約40kmにわたってのびています。
この地域は、北と南に分布する秩父帯の地層の間に断層ではさまれて、白亜紀の地層が細長く分布しているのが見られます。これらは、けつ岩・砂岩・れき岩などからなり、おもに白亜紀前半の化石が見つかっています。群馬県側では、恐竜の化石も発見されています。
約1億年前の海の様子(ジオラマ)
ガリミムス ブラツスの骨格復元模型
埼玉の変成岩
長瀞の「岩畳」は、結晶片岩(けっしょうへんがん)という岩石からできています。結晶片岩には、含まれる鉱物の種類によって、黒・緑・赤・青など、さまぎまな色のものがあります。また吉見丘陵では、角閃岩(かくせんがん)や片麻岩(へんまがん)などの岩石がみられます。これらの岩石は、高い圧力や温度によってできたもので、変成岩とよばれています。
岩畳
古秩父湾の時代(約1500万年前)
日本列島が広く海におおわれていた時代につくられた地層です。
海にはウミガメや巨大なサメ・クジラなどが泳ぎ、海底にはカニや貝などがいました。海岸近くには、パレオパラドキシアがすんでいました。
詳しくは、秩父の太古の海「古秩父湾(こちちぶわん)」のページやパレオパラドキシアのページをご覧ください。
秩父盆地や比企丘陵などでは、泥岩・砂岩・れき岩・凝灰岩(ぎょうかいがん)などの地層がみられます。泥岩や砂岩からは、海の生物の化石が数多く発見されています。
古秩父湾のイメージ
ナグラベンケイガニの化石
古秩父湾(こちちぶわん)
古秩父湾とは、約1700万年前~1500万年前まで、埼玉県の秩父地域に存在した海のことです。そこには、パレオパラドキシアなど多様な生物が繁栄しました。
現在の秩父地域では、古秩父湾に生息した生きものたちの化石が多数見つかっており、博物館で見ることができます。
パレオパラドキシアの生態復元模型
新時代の幕開け(約200万年前~現在)
第四紀は人類が活躍する時代です。寒い「氷期」とあたたかい「間氷期」がくり返す氷河時代です。気候変化にともない、海が沖に退いたり内陸まで入りこんだりしました。
展示してあるメタセコイアの株化石は、約150万年前のものです。メタセコイアは、本格的に寒くなった約70万年前に絶滅したと考えられていましたが昭和20年(1945年)に中国の奥地で発見され、生きた化石として有名になりました。
当館の庭に植えてあるメタセコイアは、昭和29年(1954年)にアメリカのニューヨーク植物展から送られたものです。
博物館とメタセコイア
アケボノゾウ
アケボノゾウは約250万年前から100万年前まで繁栄していたと考えられています。埼玉県では狭山市で化石が発見されました。
肩までの高さは約2mくらいで、現在のアフリカゾウやアジアゾウに比べると、ずっと小型でした。しかし、小さい割には、頭や牙(前歯・切歯)が大きいのが特徴です。
アケボノゾウの骨格復元模型